よしなが酒店クロニクル ヒロインは未亡人(10才)

2013年11月、小学生の高木亨の元に金色の錠前が届く。それは1985年への扉を開く道具だった。

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このサイトでは、第一話から第三十七話までの試し読みができます(全六十一話)

第一話から読むにはこちら。

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よしクロ表紙
 

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 今になってようやくあの人の名前を思い出す。岡田さんだ。よしなが酒店の片隅でいつもカップ酒を飲んでいて、朝は缶コーヒーを飲むのが日課で、過去を悔いている、岡田工務店の二代目。

 オーちゃんが父親を連れてくる。さっき、よしなが酒店のカウンターにいたおじさんだった。酒屋の前掛けをつけたまま、こちらに走ってくる。
「岡田くん、大丈夫か」
「うん……」
「うわ、ぱっくりイッたなあ!」
 おじさんが傷口を見て驚く。ジャングルチームのリーダーは、片目を閉じたまま痛みに歯を食いしばっている。
「とりあえず病院に行こう。岡田工務店には電話しといたから。治、おまえ店番しとけ」
「わかった」
 オーちゃんが神妙な顔でうなずく。

 僕のせいだ。公園を出て行くおじさんとリーダーから目が離せなかった。僕のせいだ。ジャングルチームのリーダーは岡田さんで、オーちゃんは吉永さんの旦那さんだった。全ては僕のせいだ。この戦いに負けた岡田さんはサユのことを諦める。僕のせいだった。オーちゃんとサユは結婚する。全部僕のせいだ。長澤早百合は吉永早百合になってよしなが酒店を守り続ける。僕のせいだ。不機嫌な吉永さん。
 僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ。

 サユが僕のことを見ていた。悲しそうな顔で。

 花吹雪みたいに舞うシールを見上げていた。次の瞬間、僕の前にジャングルチームのリーダーはいなかった。どさり、と鈍い音がする。
「岡田くん!」
 サユの叫び声が聞こえる。ジャングルジムのてっぺんで僕は空っぽの宝箱を抱えている。

 子供たちがジャングルジムの下に集まる。
「岡田!」
「岡田くん大丈夫?」
 僕は呆然とそれを見下ろす。クヌギの樹の方からオーちゃんが走ってくる。
「大丈夫か、岡田」
 岡田……? 脇の下に冷たい汗が流れていくのを感じる。
「トール、降りてこいよ」
 オーちゃんが静かな声で僕のことを呼ぶ。

「大丈夫……」
 うずくまっていたリーダーが体を起こす。右目を手で抑えている。地面に落ちた、割れた眼鏡をサユが拾い上げる。
「俺たちの負けだ、吉永」
「勝ち負けとかそんな場合じゃないだろ! 父さん呼んでくるから待ってろ」
 心臓がとても早く打っている。指先が冷たい。岡田と呼ばれた少年の、目元を覆った指の間から血が流れている。そうして彼はオーちゃんのことを『吉永』と呼んだ。
 全てを理解するにはそれで充分だった。

 砂場横の出入り口から裏道に出る。そうしてなにくわぬ顔でジャングルジム側の出入り口から公園に入る。ジャングルジムの前では、クヌギ軍の二人がジャングルジムにどんぐりを投げつけている。
 僕はなぜここに来たのだろう。一九八五年の十一月七日に。植え込みの葉をむしったりしながら、少しずつ敵の本拠地に近づいていく。
(もし僕たちが勝ったら)
 僕はジャングルジムを見上げる。ジャングルチームのリーダーの後ろ姿と、傍らに置かれた四角い海苔の缶。

 リュウタが目配せをする。僕が小さく頷くと、二人はジャングルジムの中腹まで登り、リーダーに向けてどんぐりを投げつける。ジャングルジムの前方に防御が固まる。
「いててて!」
「落ちる落ちる!」
 クヌギ軍の二人は拳銃で撃たれたり、上着を引っ張られたりしている。ジャングルジムの一番上で、リーダーが身を浮かす。海苔の缶から手が離れる。
(あの宝箱を僕が奪えば)
 僕はジャングルジムの後方から駆け登る。

「やった!」
 クヌギ軍の歓声に、リーダーが驚いて振り返る。ジャングルジムのてっぺんで僕は宝箱を掲げる。
「いつの間に!」
 リーダーは宝箱を取り返そうとジャングルジムの上に立ち上がる。僕は抵抗する。宝箱に彼の手が伸びる。
「うわあっ!」
 缶の蓋は開き、シールやビー玉が空に舞い散った。

 サユはチイちゃんと並んでベンチに座っている。リカちゃん人形を手に取り、それを眺めている。俯いているせいでここから顔は見えない。きっと微笑んでいるのだろうなと思う。

「リュウタ、ケンジ、行け!」
 ポケットいっぱいにどんぐりを詰めた二人が樹から降りる。僕は一番下の枝に立って公園の様子を伺う。
「もしこの戦いで僕たちが勝ったら」
「もし、じゃなくて勝つんだよ」
 サユはまだ十歳くらいで、だけど将来は既に決められている。結婚して姓は吉永に変わり、夫を亡くし、一人でよしなが酒店を守ることになる。いつも不機嫌な表情で。
 クヌギ軍が勝てば、オーちゃんは大人になってサユにプロポーズする。幸せに暮らす彼と吉永さんを、僕は想像してみる。
「うーん」
 それはなぜだか僕を苛立たせた。だれかと一緒に笑っている吉永さんという空想。

「トール、そろそろ行っていいぞ」
 オーちゃんに促され、ジャングルジムから死角になるように樹を降りる。胸の奥に広がるもやもやした感じに首を傾げながら。
 サユはヨーヨーの練習をしていた。一人でポーズを取ったりしている。口が小さく動いているから、小声で決め台詞でも言っているのかも知れない。僕は彼女を横目で見つつ公園の外に出る。

 僕はオーちゃんの顔を見つめる。
「賭けたのは、この宝箱だけ?」
「そうだけど」
 オーちゃんの声が少し動揺する。
 オガミさんだかオノミチさんだかから似たような話を聞いていた。子供の頃、長澤早百合を賭けて戦ったという話。子供の遊びだけれど、彼は大人になってもその約束を律儀に守ったと。

 オーちゃんに手伝ってもらいながら樹に登る。昨日よりはうまく登れるようになった。
「リュウタとケンジはおとりになれ。俺たちはここで宝箱を守る」
 作戦会議をするオーちゃんの横顔に、彼の面影はあまり見えない。だけど茶色い癖毛や口調など、似ているところもあると言えばある。
「トールが奇襲をかけるんだ」
「僕が?」
「トールはジャングルチームにあまり顔を覚えられていないからな」
 葉陰から公園を観察する。ジャングルジムの下を五人の男子が守っている。てっぺんには眼鏡の少年と宝箱。
 もしオーちゃんが、子供の頃のオバタさんだかオクオさんなら。僕は思いを巡らせる。ジャングルチームのリーダーは、将来吉永さんの旦那さんになる人で……。
「この戦いはクヌギ軍が負ける?」
「弱気なこと言うなよ!」
 オーちゃんに頭を叩かれる。だけどこの戦いでオーちゃんたちは負けて、サユは勝者と結婚することが既に決まっているはずだ。

 後ろで一つに結んだ髪も、どこか冷めたような瞳も、サユと吉永さんはとても似ていて、二人が同一人物だということを僕は確信する。
「年賀状もう書いた?」
「え? まだ十一月だよ」
 僕の質問にサユが呆れた顔をする。
「そっか、来年って何年だっけ」
「昭和六十一年、一九八六年じゃない」
「そうだよね。知ってた」
「なに言ってるの」
 サユが少し不機嫌になる。ますます小さな吉永さんだ。

「戦闘開始だ!」
 大きな声に顔を上げる。オーちゃんと眼鏡をかけた少年が公園の真ん中で睨み合っている。
「トールなにやってんだ、来い!」
 クヌギ軍のメンバーは樹の下に、眼鏡の子と他数人はジャングルジムの前に散る。
「またケンカしてるの」
 サユがオーちゃんを睨んでヨーヨーを構える。
「ケンカじゃない、正式な戦闘だ。宝箱を先に奪った方が勝ち」
 オーちゃんがクッキーの丸い缶を開く。中には拳銃のおもちゃやシールなんかがたくさん入っている。
「トールもなんか入れろよ」
 僕はウエストポーチからスーパーゼウスのシールを取り出して、缶の中に入れる。

 僕はベンチに腰掛けて、リカちゃん人形に巻きつけてあった花柄のハンカチを外す。人形は白い下着だけをつけていた。ハンカチを広げてから土を落として、もう一度丁寧に巻きつける。
「これ、ホルターネックって言うんだよ」
 ハンカチの端と端を合わせて胸元で捻り、首の後ろで端を結ぶ。恨めしそうに僕を見ていた女の子の表情が変わる。
「すごい!」
 彼女は僕の隣に座って目を輝かせている。僕は結び目をふんわりとリボンのように広げてから、ウエストの高い位置をゴムで止める。
「はい完成」
「ありがとう!」

「へえ、器用なんだね」
 いつの間にか僕の後ろにはサユが立っていた。
「お母さんが好きなんだこういうの。いつもワンピースとか作ってる」
「よかったね、チイちゃん」
 女の子は人形を抱きしめたまま走って行ってしまった。サユが僕の隣に座る。
「お母さんデザイナーなの?」
「半分趣味みたいな感じ。作った服はネットオークションとかで売ってる」
「ネット……?」
 この時代にはインターネットオークションは無かったのだろうか。首を傾げるサユが吉永さんと重なって見える。僕と同じ年齢くらいなのに大人びていて、なんだかむずむずした気持ちになる。

 放課後、僕はいつものように二百円の小遣いを貰い、ウエストポーチにシールと錠前を入れて家を出る。
 よしなが酒店はまだ誰もいなかった。公園にはまばらに子供の姿が見える。僕の友達はまだ来ていない。オーちゃんと登ったクヌギの樹は切り株になっていて、ジャングルジムはそこに存在しない。

 ウエストポーチから錠前を取り出す。
「この数字が多分年代で……」
 僕は慎重にダイヤルを回す。だけどどの数字に合わせてもロックは開かない。
「一九八五でしか開かないようになってるのかな」
 本来錠前とはそういうものだ。
 公園の片隅で周囲を見渡す。こちらを見ている子供はだれもいない。
「一九八五」
 数字を合わせると、錠前がかちりと開いた。目の前が光に満ち空間が裂ける。
 この光を見ると僕は自分の意思で動くことができなくなる。操られるように光の中へ。

「うわっ」
 地べたに落ちていたリカちゃん人形を、うっかり踏みつけてしまった。砂場で遊んでいた女の子がそれを見て泣き出す。
「ご、ごめんね」
 人形を拾いながら景色を確認する。クヌギの樹が砂場に木陰を作っていた。

 サユの夢を見ていた。公園の真ん中に不機嫌な顔でぽつりと立っている。僕はクヌギの樹の上からそれを眺めている。声をかけたいと思うけれど、その樹はとても高くて、僕は降りることができない。

 目を覚ましてからすぐに机の引き出しを開ける。きらきらしたシールと、錠前と、どんぐりがそこにちゃんと存在している。
「夢じゃなかった」
 昨日の夕方、僕に不思議な錠前が届いた。ダイヤルを『1985』に合わせるとロックが開き、僕は違う世界に行った。吉永さんが僕と同じくらいの子供で、二十世紀に流行したお菓子が売っている世界。
 引き出しから錠前を取り出す。ダイヤルは『2013』になっている。今日は二〇一三年十一月八日だ。
「一九八五年だったのかな」
 サユが十歳だとして、吉永さんが今三十八歳ならば計算が合う。

「亨、起きてるの」
 母が僕を呼ぶ。キッチンから卵を焼く匂いがする。僕は錠前のダイヤルを回しかけて思い留まる。
「起きてるよ」
 引き出しを閉じてから、僕は自分の部屋を出た。

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