よしなが酒店クロニクル ヒロインは未亡人(10才)

2013年11月、小学生の高木亨の元に金色の錠前が届く。それは1985年への扉を開く道具だった。

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第一話から読むにはこちら。

 公園の砂場の横にある樹木は、何本もの太い枝を伸ばしている。そこに実るたくさんのどんぐりと黄金色の葉、それから数人の子供たち。
「おまえ、ジャングルチームか?」
 僕はぼんやりとその少年を見上げる。十一月なのに半ズボンを履いていて、赤いスタジアムジャンパーをマントのように首に巻いている。
「ジャングルチーム?」
「オーちゃん、こいつよそものだよ」
「オーちゃんって呼ぶな。ショーグンと呼べ」
 オーちゃんと呼ばれた少年は、樹の幹にしがみつきずるずると滑り降りてくる。そうして三十センチくらいの高さから飛び降り、片膝をついたポーズを取る。

「名前は」
「亨」
「トールか。俺のことはショーグンと呼べ。お前はジャングルチームのスパイじゃないんだな」
 オーちゃんが公園の入り口付近を見る。ジャングルジムのてっぺんに、眼鏡をかけた少年が座っていてこっちを睨んでいる。
「違うけど」
「よし、じゃあクヌギ軍に入れてやる。来い」
 彼はそう言って、再び樹を登り始めた。

 公園にはもっとたくさんの子供たちがいた。幼児から小学生までの子が、入り乱れて遊んでいる。入り口の近くには、去年撤去されたはずのジャングルジムがある。
「夢、なのかな」
 僕がいつも遊んでいる公園の、いつもとは少しずつ違う景色。ジャングルジムに登っているのは数人の男子小学生。ブランコに女子が集まっているところは、いつもと同じだ。

 ジャングルジムと対角線上の位置には、黄金色の葉をたくさんつけた大きな樹がある。
「ここには切り株があったはずなのに」
 僕はその幹の手触りを確認する。手のひらにごつごつとした質感が伝わってくる。とても夢だとは思えない。
「いたっ」
 上からなにかが降ってくる。足元に落ちた茶色い粒を拾い上げると、丸い形をしたどんぐりだった。よく見ると足元にいくつものどんぐりがある。この樹から落ちてきたのだろう。
「いたい!」
 どんぐりが立て続けに落ちてくる。正確に僕の頭を狙って。
「おまえだれだ!」
 頭上から聞こえてくる声に顔を上げると、僕と同じ年くらいの少年が樹の枝に立っていた。

 公園へ向かう一本道もいつもと少しずつ違い、だけどよしなが酒店はいつものように扉を開けている。ただ違うのは、そこにたくさんの人の姿があること。
「天使? 悪魔?」
「お守りだったー」
 子供たちが、よしなが酒店の店先でチョコウエハースを開封している。
「ヘッド、どれに入ってるんだろ」
「透かして見えるはずないだろ」
 おまけのシールに盛り上がっている子供たちを、店内で酒を飲んでいる大人たちが笑う。心なし店内がいつもより明るく見える。

「いたっ」
 よそ見をしながら歩いていたら、足元に小さな女の子がぶつかってきた。
「ごめん、大丈夫?」
 その子が落としたリカちゃん人形を拾う。洋服のかわりに、花柄のハンカチがぐるぐると巻きつけてある。
「かえして!」
「お母さんは?」
 頬を膨らませて、リカちゃんをひったくる。幼稚園くらいの子供が一人でうろうろしているのに、それを気にする大人はだれもいないみたいだ。
 僕は知らない子供たちを横目に見ながら、公園への道を歩く。

 玄関扉は布のように縦に裂けていた。柔らかそうな裂け目から、帯状の光がこちらに伸びてくる。まるで僕を誘うように。
 なぜだか疑問や恐怖を感じることはなかった。僕は裂け目をまたいで、扉の向こう側へと一歩を踏み出す。

「あれっ?」
 気がつくと僕は玄関の外側に立っていた。
 振り返りドアノブを回す。鍵がかかっているのか、扉は開かない。
「なんか変……」
 景色が少しだけ違って見える。ベージュだったはずの玄関扉はクリーム色で、304号室という表示の横にあったはずの『高木』の表札が消えている。呼び鈴を鳴らしてみるけど当然のように誰も出てこない。

 不思議に思いながらも、僕は階段を降りて団地の外に出る。
 駐車場にあったはずの鉄柵は、緑の生け垣になっていた。駐輪場の屋根はなくなっていて、その隣にある桜の木が、随分と細くなっている。
 風は冷たいのに、手のひらがじっとりと汗ばんでくる。僕は錠前を握ったままだったことに今更気づく。
「一九八五……」
 四桁のダイヤルには、そう表示されていた。

 光が目を刺したような気がした。
 封筒の中に入っていたのは錠前だった。金色っぽい、手のひらに乗るくらいの。
「なんで、こんなものが」
 そんなはずはない、と僕は思う。
 僕が『金色のロックシードキャンペーン』の応募ハガキを投函したのは今朝だった。今はまだ午後四時にもなっていない。こんなものが僕に届くはずはないのだ。封筒に住所は書かれていないし、切手すら貼られていない。

 鈍く光る真鍮の錠前は、僕の知っている変身アイテムとは随分と違う。四桁の数字のダイヤルがあり、そのロックはおりている。
「九九九九……」
 僕は錠前のダイヤルを適当に回してみる。
 かちり。音をたててロックが開く。

 突然視界が真っ白になる。強い光に、僕は思わず目を閉じる。
 そうして次に目を開いた時、玄関扉は真二つに裂けていた。

 小学校から帰宅すると、母はいつものようにトルソーにワンピースを着せていた。僕が学校に行っているあいだ、母はずっと裁縫をしているのだろうか。朝には一枚の生地だったものが、夕方には洋服の形になっていたりする。
「おかえり、ちょっと買い物に行ってくるから」
 トルソーの脇腹にはまだ数本のまち針が刺さっている。
「うん」
「針が危ないから触っちゃダメよ」
 母はジャケットをはおり、スマートフォンをポケットに突っ込む。台所を一旦出てから思い出したように引き返し、二百円を僕に手渡す。

 母のいない家はしんとした水底みたいだ。
 僕はランドセルを学習机に置き、財布に小銭を入れる。面ファスナーの音がいつもより大きく聞こえる。
 ごとん。
 玄関の方から物音がする。ウエストポーチに財布をしまい、様子を見に行く。
「新聞かな」
 夕刊はもっと遅くに届くはずだけれど、僕は新聞受けを開いてみる。そこには金色の封筒が入っていた。
「僕宛?」
 宛名に『高木亨様』と印刷してある。僕はその場に立ったまま金色の封筒を開封した。

 朝の空気はまだとても冷たくて、吐く息が白くなっている。僕はポケットに手を突っ込み、いつもの通学路を外れて公園方面に向かう。
 よしなが酒店の扉は、朝だというのに既に開いていた。店の近くの植え込みのレンガに、オオキさんだかオオクボさんだかが座って缶コーヒーを飲んでいる。
「お前なにやってんの。学校こっちじゃないだろ」
「ポストに寄っていこうと思って」
 僕が彼の前で足を止めると
「俺か? 俺はここで朝のコーヒーを飲むのが日課だから」
 と、聞いてもいないのに、頬骨のあたりを掻きながら彼は答えた。

「お父さん、ごみ出しなら私がやりますから」
「悪いねえ、早百合ちゃん」
 よしなが酒店の中から吉永さんと老人の話し声が聞こえる。
 吉永さんが大きなゴミ袋をふたつ持って出てくる。僕たちを一瞥して、そのまま声もかけずにごみ収集所に向かう。
「吉永早百合なんて名前、似合わないよなあ」
 そこが痒いのか、岡田さんは目の下あたりをしきりに擦っている。

「あんたたち、学校と仕事は?」
 戻ってきた吉永さんに一喝されたので、彼は空き缶を自販機横のゴミ箱に捨て、僕は公園前のポストに向かう。
 少し歩いてから振り返ると、彼は吉永さんの前で頭を掻いていた。なにかを話したようだけど無視される。パーマなのか寝癖なのか分からない髪の毛が、更に乱れる。
 乾燥の季節だからあちこち痒くなるのかなあ。などと僕は考えていた。

 母は幼い頃からこの町に住んでいた。一度は引っ越したのに、父との結婚を機にまた戻ってきたという話を聞いたことがある。よほど郷土を愛しているのかと思うけど、そうでもないみたいだ。
「昔はもうちょっとましだったけどねえ、二代目も」
 しばしば口にする近所の人々への愚痴を、父は黙って聞いている。

 引き出しからハガキを取って台所を出る。母の声がまだ聞こえてくる。
「吉永の奥さんもかわいそうよ。あんなところに縛られて」
「まあ、奥さんでもってるようなものだからなあ」
「再婚するなり、籍を抜くなりしてさっさと自由になればいいのに」
 同情というよりも、なんだか怒っているみたいな声。
「お父さんも年だし、難しいんじゃないか」
「だって、自分の親でもないのに」

 僕は自室に戻って懸賞の応募券を切り取る。それをハガキに貼り自分の名前と住所を書く。
「ロックシード、届くのかな」
 金色に輝く応募券には、『9』という数字が書かれた錠前のイラスト。
 あまり期待はしないでおこう。僕は書き終えたハガキを机の隅に置いた。

 明日学校に着ていく服の用意をしていたら、パーカーのポケットから空き箱が出てきた。
 そういえばオオニシさんだかオオスギさんだかが、チョコレート菓子の空き箱をくれたのだ。箱の裏側には『金色のロックシードキャンペーン』と書かれている。別に集めているわけじゃないのに。

 僕は箱を開ける。
「……!」
 きらり、と光が差す。
「なんだこれ」
 箱の内側には金色で印刷された錠前が描かれていた。僕は箱の裏側を確認する。
「ロックシードマークなら抽選、金色のロックシードマークなら必ず」
 応募券を送ればおもちゃが当たるらしい。だけど
「これ、金色のマークでいいのかな」
 応募券に描かれたイラストは、僕の知っているロックシードとはだいぶ違う。

「お母さん、ハガキある?」
「そこの引き出しにあるけど」
 母は夕食後の食器を洗っていた。父はダイニングテーブルで、まだちびちびと発泡酒を飲んでいる。
「おっ、仮面ライダーチョコか。応募するのか」
「うん。そういえばあの人に会ったよ。えっと、オオハシさんだかオオコウチさんだか」
「二代目?」
 母は洗い物の手を止めて、ちょっとだけ嫌そうな顔をする。

「悔い?」
「最近、昔のことばっか思い出すんだ」
 オオクラさんだかオカムラさんだかが、横目で店の入り口を見る。吉永さんがレジ横の小さな冷蔵庫からカップ酒を取り出している。こちらを向いていないのに、不機嫌だということがなぜだか分かる。
「もし、やり直せるんなら」
 ひとりごとのように彼はつぶやく。
「吉永なんかに渡さねーのになあ」
ここに僕がいることを忘れているのか、酔っ払っているのか、もしくはその両方なのだろう。

 なるほどそういうことか。
 彼が吉永さんを旧姓で呼び続ける理由が、なんとなく分かったような気がする。大人の世界も色々めんどくさいものだと思う。
「亨、こんな暗いのに帰らなくていいのか」
 オヤマさんだかオガサワラさんだかが、たった今気づいたかのように僕の顔を見る。
「帰るよ」
 真面目に話を聞いていた自分が馬鹿らしくなって、僕は再び家路に向かう。空き箱をポケットに突っ込みながら。

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