よしなが酒店クロニクル ヒロインは未亡人(10才)

2013年11月、小学生の高木亨の元に金色の錠前が届く。それは1985年への扉を開く道具だった。

『よしなが酒店クロニクル ヒロインは未亡人(10才)』が電子書籍になりました。
このサイトでは、第一話から第三十七話までの試し読みができます(全六十一話)

第一話から読むにはこちら。

 十一月の日没は早い。夕方も五時を過ぎると、空は深い藍色へと変わっていく。
 僕たちは公園を出て家路を急ぐ。よしなが酒店の明かりは、さっきよりもずっと濃く灯っているように見える。

「とーおーるー」
 オオノさんだかオガワさんだか、頬を赤く染めた中年男性がよしなが酒店から出きて僕を呼び止める。
「亨、おい行こうぜ」
 友達が不安そうに僕の袖を引く。
「これやるってば」
 彼は汚れた作業着のポケットから菓子箱を取り出して僕に手渡す。チョコレート菓子の空き箱。
 友人二人が「もらうなって」などと小声でつぶやくのを聞いて、
「お前ら知らないだろうけど、俺は亨がこんな小さい頃から遊んでやってたんだからな」
 と、手で菓子箱くらいの大きさを示す。
「俺ら、先に帰ってるから」
 僕たちのやりとりを聞いて、安心したのか諦めたのか、友人二人は走って行ってしまった。

「それじゃ胎児だよ」
「じゃあこんくらい」
 手のひらと手のひらの間が少し大きくなる。ちょうどドッチボールくらい。
 店内では黄色い電灯の下で、カップ酒を飲んでいる男性が三人いる。それから不機嫌そうな吉永さんの姿も見える。
「亨、悔いのないように遊べよ」
 オノさんだかオダギリさんだかが、大きな手で僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。
 空はすっかり暗くなってしまっていた。

 いつもどおり、公園に子供の姿は少なかった。
 去年まで入り口付近にあったジャングルジムは、幼児が怪我をしたとかで撤去されてしまった。ブランコは女子たちに占領されている。砂場の横にある大きな木の切り株に、僕のクラスメイトが二人、座っている姿が見える。
「亨、きたきた」
「遅いよ」
 僕は彼らの横に腰掛けながら
「よしながに行ってきた」
 と報告する。
「マジで」
「俺、よしながに行ったら親に怒られる。あそこ明るいうちから酒飲んでる大人ばっかだから」
「うちもうちも」
 どこの家庭も同じだ。子供を危険な目に合わせたくない。まっとうな親心だ。
 公園では野球もサッカーも禁止され、見晴らしを悪くする木は切り倒された。全ては僕らの安全のために。
 僕は切り株の断面に触れる。年輪の中心から放射状に入ったひびは、太陽を描いているように見える。
「ポケモンどこまで進んだ?」
「ちょっとまって」
 ウエストポーチから3DSを取り出す。僕らは寒さに身を寄せ合いながら、ゲーム機の小さな画面に熱中する。

 よしなが酒店は僕の部屋より少し広い程度で、壁際の棚には酒や洗剤などの日用品が置かれている。のれん側の壁にはレジとカウンター。それから小さな古いテーブルといくつかの黄色いビールケース。店の中央の陳列棚には酒のつまみと駄菓子が並べられている。
 僕は目的のチョコレート菓子を手に取り、カウンターの上に乗せる。
「八十円ね」
 吉永さんはパッケージをちょっとだけ見てから、無表情のまま僕に言う。
「それ、うまいの? 俺にもちょうだい」
 部屋のすみに座っていたオオバさんだかオマエザキさんだかが陳列棚を指し示す。僕に取ってこいというのだ。僕は同じものを取って彼に手渡す。
「八十円!」
 吉永さんは彼の目を見ない。眉間に皺がよっている。若いころは美人だったのかも知れない。だけど僕が見る吉永さんはいつも機嫌が悪そうだ。
「金色のロックシードキャンペーン、これ集めてんの?」
「別に」
「集めてんだ。だからわざわざよしながなんかに来たんだろ」
 その言葉に、吉永さんはますます不機嫌な顔になる。
「亨、ちょっと待てよ。応募券やるから」
 彼はパッケージを開けようとする。薄暗さのせいか酔いのせいか、包装フィルムはなかなか剥がれない。
「いらない」
 僕は吉永さんからおつりを受け取って、よしなが酒店を出た。

 僕の住む団地と公園をつなぐ一本道の、ちょうど真ん中あたりによしなが酒店はある。そのためにどうしても、毎日そこを通ることになる。客がいてもいなくても、いつでもよしなが酒店の扉は開いている。コンビニエンスストアに比べて照明は随分と薄暗い。だから夕方になるまでは、外から店内の様子は伺えない。

 店内に一歩足を踏み入れると、こもった空気と酒の匂いがした。
「おっ、亨じゃん」
 薄暗い店の片隅から、陽気な声がする。
「こんにちは」
 誰だっけ。確かオガタさんだかオカヤマさんだか。
「珍しいな。ここに来るなんて」
 次第に目が慣れてくる。彼はひっくりかえしたビールケースに座り、一人でカップ酒を飲んでいる。汚れた作業着を着て、少しだけ楽しそうに。
「おーい、長澤! 客だぞ」
「長澤じゃなくて吉永! なんど言わせるのよ」
 奥の住居部分につながるのれんをくぐって、吉永さんが出てくる。

「あ、売り切れてる」
 ファミリーマートの菓子コーナーにしゃがみこむ。子供用の駄菓子は低い位置にあるのだ。いつも買うチョコレート菓子の置かれていたところには、ぽっかりと空間があいている。
「アーモンドチョコにしようかな」
 立ち上がり、目線の高さにある菓子を物色する。アーモンド入りチョコレートが百九十八円。今日の分の小遣いをほとんど使ってしまうことになる。

 選択肢は二つある。
 バス通りを渡ってローソンに行くか、よしなが酒店に行くか。バス通りの向こうは校区が違うから、子供だけで遊びに行ってはいけないことになっている。どちらを選んでも母に怒られるのは確実だ。
「どうせ怒られるなら、近い方がいいや」
 僕はファミリーマートを出て、よしなが酒店に向かった。

 ランドセルを学習机の上に置き、引き出しを開ける。ドラえもんが出てくるわけでもない、ごく普通の引き出し。
 財布を取り出し、面ファスナーをばりばりと剥がして二百円を放り込む。ウエストポーチに3DSと財布を入れて腰につける。それが僕の全装備。
「亨、五時半には帰ってくるのよ」
 母は僕の方を見ずに、トルソーの服を着替えさせている。今度は花柄のワンピースだった。
「連絡帳、印鑑押して」
「あとで見るから、そこに置いといて」
 なにかが納得いかないのか、母は首をかしげてワンピースを眺めていた。

 パーカーが必要なほどに気温は下がっていたけれど、外にはまだ蚊がいる。おかしな気候だと大人たちは言う。昔はこうじゃなかったと。
 家から公園へ行く一本道で、どうしても『よしなが酒店』の前を通り過ぎる。扉は常に開いている。中にいる人たちと目を合わせないように、僕は早足で歩く。

 いつもはがしゃがしゃと音を立てている給食袋も、今日は大人しい。特に悲しいことがあったわけでもない。ただ楽しくもないだけ。

 僕は団地の階段をゆっくりと上り、立て付けの悪い玄関扉を開ける。鍵はいつも開いている。
「おかえりなさい。今日は早かったのね」
 リビングでは母が、トルソーに着せた洋服を撮影していた。母のスマートフォンがマリンバの音を鳴らす。僕の帰宅時間を知らせるアラーム。
「おやつはどうする?」
「公園で食べる」
 分かってはいるけれど一応聞いてみた、といった表情で、母はデジタルカメラをテーブルに置く。長財布から二百円を取り出して僕の手のひらに乗せる。
「よしながはダメだからね」
 小銭の置かれた手を握って念を押される。
「うん」
「おやつはファミマで買うのよ」
「分かってるって」
 給食袋を洗濯かごに入れ、箸箱をシンクに入れてから、僕はランドセルを自分の部屋に置きに行く。

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